喪失の5段階という定義から、私の好きなTOKIOはもういない現実を考える。
喪失の5段階とは。
・グリーフケアの第一人者が定義した、喪失から受容までの過程のこと
・大切な家族を亡くした人など、大きな喪失から立ち直るまでの過程の定義づけ
- 否認
- 怒り
- 取引
- 抑うつ
- 受容
の5段階を行ったり来たりすることで、人は徐々に喪失を受け入れていく。らしい。
詳しくは下記リンクをご参照ください。
キューブラー・ロス 喪失の5段階説 | グリーフケアカウンセリング
今の私に当てはまる部分があるなあ、と思いながら読みました。
事件以後『私の好きなTOKIOはもういない』と強く感じています。自分で言い聞かせるようにTwitterで呟いたり。それでもどうしても受け入れがたい自分がいました。4人での活動は決定事項なのに、受容できない自分がいます。なぜだろうと考えていた時、喪失の5段階という定義にたどり着きました。
- 否認→は????嘘やろ????まじで????
- 怒り→何てことしてんねん!!大馬鹿野郎!!会見も失言多いし迂闊すぎ!!
- 取引→とにかく出来る事はなんでもするから脱退・解散だけは勘弁してください…死ぬまでにもう一度5人のTOKIOが見たいのでその為なら何十年でも待ちますから…
- 抑うつ→ネットもテレビも見たくない…なにもしたくない…
- 受容→???????(まだ到達してない)
記事によると、これらの過程を進んだり戻ったりしながら、人の精神は徐々に需要の方向に向かうらしい。それには時間という薬も大きな作用を及ぼすと。ほんまかいな、と今は思いますが。
この喪失の5段階は、近しい家族が急逝した場合などに用いられる定義であり、『たかが芸能人のスキャンダルや引退でそんな大げさな…』と思われる方もいると思います。しかも、今回の騒動の根源にあるのは本人の犯罪行為です。それはおかしいと思われる方もきっといるでしょう。
それでも、私の中では騒動前までTOKIOはいつでも当たり前にそこにある希望でした。たとえテレビを見ていなくてもライブをしていなくても、15年近く応援してきた彼らの存在そのものが確かに私の希望であり支えでした。
希望は、何の前触れもなく突然ばちんと弾けて消えました。私の好きな5人のTOKIOはもうどこにもいない。時間は不可逆で、今を生きる以上誰も、事件前のTOKIOを応援することはできない。私の好きなTOKIOという存在は、正に『死にました』。
強制わいせつなど到底許されることではない。相手は未成年。司会者という目上の立場からの断りづらいであろう呼び出しの結果からの卑劣な行為。発覚まで後手後手に回る本人の行動。記者会見でのリカバリー不能な甘えた言動。悪いのは山口くん本人なのは大人として理解しています。
それでも今は山口達也さんの契約解除、4人のTOKIOという現実を受容できずにいます。どこかでいつか5人でバンドしてほしい。白髪になってもバンドするって言ってたのに。何事も器用にこなすTOKIOの屋台骨を表舞台で見ることは二度とない、という現実に胸が苦しくなります。
ただの茶の間ヲタでさえこんなにメンタルやられてるのに、私なんぞには想像することすらできない、メンバーの喪失感はいかばかりか。日に日にやつれる太一くんをビビットで見るたびに、何もできないながらに心配になります。
変えられるのは、明日と、目の前にあることだけ。
4人のコメントにありましたが、今そう言える彼らはやはりとても強いと思うし、見習わなくてはいけないなあ、と思います。
うっかりYahoo!のニュースを開いて、勝手にダメージを受けてしまったので、今日も仕事になりませんでした…せめてこれを書いて家だけは片づけなくては…。